シンチャオ~
シンチャオ~ベトナムのフイさん~
シンチャオ~
ベトナムのおじいさん
– そして、
仲間のグエンさん、
あなたの助けが必要だよ.
あなたが活躍する時間だよ-
当施設のある地域にある、他の介護関連会社である訪問看護会社から連絡があった。
そちらの会社で訪問看護をしている利用者のおじいさんがいるが、デイサービスを利用したいという話を聞いたようだ。
その訪問看護の会社の担当者から当施設に連絡があった。
…..
新しく私たちの施設を利用することになる人は、
93歳のベトナム国籍の男性だ。
名前はフイという。
フイさんが私たちの施設に初めて来る前に、私はスマホでベトナムの挨拶を検索してみた。
他国国籍の人に、その国の母国語で挨拶をすると一応笑顔が出ることを経験的に知っている。
スマホで「シンチャオ~」と検索結果が出た。
挨拶する時に使う言語のようだ。
その一言だけ、一生懸命練習した。
シンチャオ~ シンチャオ~ シンチャオ~
…..
フイさんが私たちの施設に初めて来られた時、
私はこれまで練習してきたベトナム語で挨拶をした。
[シンチャオ~]と挨拶をした。
フイさんが笑いながら
[チャオ~]と私に答えた。
え~言葉が通じたのかな?
成功です。
おそらく言葉が通じたようだ。
検索をちゃんとしたようだ。
そして、もう知っているベトナム語がない。
それからは、これ以上のベトナム語が分からないから日本語で話し始めた。
…..
[はじめまして]と日本語であいさつをした。
それから、
いきなり3秒間の沈黙。
その後、フイさんは
[わからん〜]と答えた。
[…(うん?日本語で話せるみたいだね?)…]
また日本語で聞いた。
[フイさん、日本語できますか?]
再び
3秒間の沈黙。
[わがらん〜]
[???]
…..
私の横に立っていたケアマネージャーが
[フイさんは日本語がほとんどできないと聞いたよ。]
と言った。
そうなんだ。
一応、椅子に座るよう案内して、温かいお茶を一杯差し上げた。
その後、フイさんはベトナム語であることを言った。
多分、ありがとうというベトナム語のようだ。
ケアマネージャーがまた私に言った。
[あ、そうだ。フイさん、英語ができるみたいだって聞いた。 カイさん、英語できる?]
[挨拶くらいは英語でできます。 英語で一回、声をかけてみましょうか?]
[やってみて]
それで、精神を集中して、高校の時に習った英語を使ってフイさんに話しかけた。
[Nice to meet you, Mr. Hui.
If you can speak English, I can understand roughly.
Could you speak English?
Do you understand what I’m saying?]
と声をかけると、
再び
3秒の沈黙。
そして。
答えた。
[わからん〜!]
……
多分、日本語は「わからん」という単語だけ知っているようだ。
ケアマネージャーへ
[英語ができないみたいんですけど?]
[何だか変だね。 訪問看護の担当者が英語が話せるように見えたと言ったけどね。 私もちょっと聞いたよ。英語みたいなこと言ってたのに。それが ベトナム語だったかな?]
…..
しばらくして、
クエンさんが出勤した。
クエンサンは私たちの施設に勤め始めたばかりのベトナム人の新入社員だ。
あ、そうだ。私たちにはクエンさんがいたよね?
[クエンさん、ちょっとこっちに来てください。 あなたの助けが必要です。 これからあなたが活躍する時間だよ〜!]
と言って、クエンさんを呼んだ。
クエンさんに、そのベトナムのおじいさんの席に案内した。
クエンさんは、
流暢なベトナム語でフイおじいさんと話をした。
なんだか素敵だった。
いつもと違う姿。
[おお、すごいな~]
と隣の私たちは話しながら一息ついた。
フイさんの顔も明るくなって来た。
そして。
自然にフイおじいさんはクエンサンが担当するようになった。
[グエンさんかっこいいですね。 がんばれ!もうあなたが活躍する時間ですよ!]
…..
後でグエンさんへ
[フイさんは英語ができるみたいですか? 英語を使うと聞いたですけどね。 ]
聞いてみると、
グエンさんの説明は、
フイさんは英語はできない、フランス語ができると言った。
あ~英語に似た言葉が、英語じゃなくてフランス語だったんだ。
…..
歴史的に
だいぶ前には
ベトナムはフランスの植民地支配を受けたことがあり、フランスと戦争をしたことがあったという。
その時代に、フイさんは様々な戦争にも参戦したという。
その時代に生まれたフイさんはベトナム語とフランス語を同時に使うことができたのだ。
介護施設で働いていると、
このように
歴史の本の中で読んで事を、実際に会うことができる。
近代、現代史を実際に経験した人を会うことができるんだ。
老人たちの生きてきた過去は、私たち人類の歴史です。