初めて接した妻の死の知らせ
今日初めて接した妻の死の知らせ
悲しみが果てしなく繰り返されても真実を語るべきなのか?
- 鈴木さんの質問
- [お母さん、どこ?]
鈴木さんの同じ質問が今日だけでももう7回目だ。認知症による記憶障害で、先ほどのことを覚えていない。 もちろん、さっきあった会話もすべて忘れてしまう。鈴木さんは、介護施設に6カ月前に入所したが、いまだに本人の部屋を自分で探して入ることができない。
介護施設の構造が複雑でもなく、部屋が多いわけでもない。 いくつかしかないけど、鈴木さんは自分の部屋を覚えていないだけだ。ただ、うちの職員たちにできることは、橋本さんが部屋を探せずさまよっている時、一緒に歩いて案内してあげる以外に方法がない。
- 記憶の損失に関して
鈴木さんの話を続ける前に、ちょっとロマンス映画の話を一つしてみよう。
ただ記憶が維持される時間がたった一日だけの女性がいる。彼女の彼氏はその事実をよく知っていて、毎日彼女に会って愛を告白する。女の子が一番好きな場所で、女の子の理想の彼氏と一緒に、女の子が一番好きな食べ物を食べる。男はもちろんその女の記憶がたった一日だけだということを知っているが、女に真実を言わない。彼女には今日が一生の中で最高の日だ。 そしてその日は果てしなく繰り返される。女性の立場では毎日が最高の幸せな日だと思う。 そして、その最高の日は永遠に繰り返される。
さあ、映画から現実に戻ってみよう。現実は映画のように甘くない。特に介護現場ではなおさらだ。鈴木さんは認知症による記憶障害だ。いつも本人の妻を訪ねて施設内を徘徊する。はじめて
- 「お母さん、どこ?」
と言ったときは、私は鈴木さんが本人のお母さんを探していると思った。しかし、しばらく対話を交わして家族相談を進めた後、本人の母親ではなく本人の妻を探していることが分かった。
鈴木さんの家では娘に1日に数十回同じ質問をしたという。
- [お母さん、どこ?]
だから、娘に向かって質問する[ママ、どこ?] というのは、家で父が娘に聞く質問なのだ。
その質問を、介護施設の職員にしているのである。本人の妻を探している鈴木さん。鈴木さんの妻は数年前に亡くなった。しかし、鈴木さんは本人の妻を見送った事実を覚えていないのだ。
毎日、本人の娘に、本人の妻がどこにいるのか質問してきたのだ。もちろん、娘は父親に「母親の死」について数え切れないほど繰り返したという。娘の立場からも母親の死を受け入れがたい状況で、認知症の父親が母親を探し続けるため、その辛い思いは言うまでもないだろう。
その話を聞いて、施設の立場では鈴木さんの質問にどう対応すればいいのか分からず、鈴木さんの娘に意見を聞いた。
娘は、家でも普通に母の死について父に話しているので、施設でもあまり心配しないで事実そのまま話してもいいと言われた。 不必要に嘘をつく必要はないと言った。
家族の助言を聞いて鈴木さんに真実を話そうとしたが、なかなか真実を話すのが難しかった。本人の妻を探してさまよっている夫に、どうして妻の死を平凡な感情で語ることができるだろうか。
毎日繰り返される鈴木さんの質問に「病院に行った」と嘘をついた。 しかし、1時間後に再び聞こえてくる質問、そしてもう1時間後にまた聞こえてくる同じ質問。そのようにしばらく同じ質問に対して
- 「病院に行きました」という繰り返しの返事をした。
しかし、それは嘘ではないか? いくら認知症の人だとしても嘘をつくのは心の中が楽ではない。それで「分かりません」と答えた。 すると怒った。 なぜ妻がどこにいるのか分からないのか」と怒った。
そして一時間後に繰り返される同じ質問、そして、怒っている。徐々に私も疲れ、他の職員も同じ質問に答えるのが難しくなっていった。
もう一度娘に状況を説明した。娘はあまりストレスを受けず、普通に話してもいいという返事を再び聞いた。
翌日、鈴木さんは、施設内を徘徊していて私に聞いた。
- [お母さん、どこ?]
私はもう私も分からないという気持ちで、
- [お母さんは、もう亡くなりました]
と真実を話した。すると鈴木さんは、そのことをまるで初めて聞いたかのように、びっくりしながら目を丸くした。
- [いつ?]
- [数年前です。]
と答えた。
その後、鈴木さんは居間の食卓の椅子に座り、今まで見たことのない悲しい表情をしながらため息をつき続けた。すごく悲しみをこらえるように、拳でテーブルを叩きつけたり、本人の膝をたたきつけたりもした。
鈴木さんの瞳は、まるで涙をこらえているかのように赤くなっていた。その姿を見て、私はとても慌てて驚き、どうしたらいいか分からなかった。悲しみに堪えている鈴木さんを見ているのがとても大変だった。
そして、一時間後、鈴木さんは再び明るい顔で施設内を徘徊し始めた。
- […(悲しみを堪えるために徘徊うのか?)…]、
鈴木さんが私に聞いた。
- [お母さん、どこ?]
- [………………]
鈴木さんは、1時間前の状況をすべて忘れてしまった。私は少し前の状況に二度と向き合いたくなかったので、席を外してしまった。その後、鈴木さんは別の職員に近づいて尋ねた。
- [お母さん、どこ?]
すると、一時間前の状況を知らずにいたその職員は
- [病院にいらっしゃって亡くなりました」と答えた。]
そしたら、まるでタイムリーフを経験したかのように、再び1時間前の状況に戻ってしまった。椅子に座ってテーブルを叩きつけ、本人の膝をたたきつけ、瞳は赤くなり、悲しみをこらえる鈴木さん。
返事をした、その職員も途方に暮れていた。一瞬、私と目が合った職員が私に言った。
- [このように対応するのが正しいと思う?]
私は
- [わからない。これでいいのか? むしろ嘘をついたほうがいいんじゃない?]と答えた。
- 映画と現実の違い
映画の中の主人公が、記憶障害があって毎日が生涯最高の幸せを繰り返し経験しているの事は現実は違います。鈴木さんは、毎日、本人の一生の中で最高の悲しみを絶えず繰り返して経験することになるかもしれないと思った。これがどれほど悲しい状況か。現実は映画のように甘くない。
妻の死に初めて接し、悲しみを我慢している姿をそばで見守っていると、職員たちも一緒に悲しくなり涙が出そうだった。まるで私の家族の悲しみを一緒に体験しているようだった。家族の悲しみを一緒に経験していると思うと、私は仕事がうまくいかなかった。
介護の用語の中では、「介護施設に入所して生活している老人たち」が職員たちに過度に感情に向かってまるで家族のように考えることを「転移」という。逆に職員が「施設を利用している老人」に過度に感情に向かってしまうことを[逆転移]というんだ。
私は
- 「私が鈴木さんの悲しみに一緒に吸い込まれているんじゃないかな」と思った。
- [冷静にこの状況をコントロールしないと!]
と思い、心を入れ直した。そして客観的な態度で鈴木さんの施設内の生活を助ける業務を再開し始めた。
施設の利用者に少しの嘘もなく率直に話して対応することだけが正しいのだろうか?それとも、白い嘘をついてもいいのか?このジレンマに私ははまってしまった。
その事があった後、鈴木さんが同じ質問を私にする時は、私は
- 「わかりません」と答えた。
すると鈴木さんは私に同じ姿で「なぜそれをあなたが知らないのか」と怒った。むしろ、私はそれを受け入れることにした。その方がいいと思った。鈴木さんに真実を知らせて、毎日、妻の死を悲しみながら残りの人生を生きていくことはできない。
あなたなら鈴木さんの質問にどう対応しますか?