日本語による、心の傷の色んな記憶
日本語による、心の傷の色んな記憶(酒?鮭?)
- 今の日本語の状態
今の私は,日本語が完璧じゃないけど、ある程度の重要な部分は大体理解しながら日本語で会話ができる。しかし、数年前の私は職場で全く対話が通じなくて本当に大変だった。
もちろん大変だったのは私だけではなく、 話しをやりとりしている相手もとても苦しんでいるのが感じられた。相手も私と喋る時、ストレスがたまっていくようだった。ある程度時間が経ってからは、私と日本語で喋るのが大嫌いなように感じられて、相手から怒られることが多かった。私もだんだん落ち込んできて、できれば日本の人たちと話を長くしようとしなかった。 大変な日々だった。
その頃は、職場で仕事を終えて家に帰ると、とりあえず机に座って日本語を勉強した。私はニトリで買った、一番安い机と椅子に座って日本語を一人で勉強した。(今は、手のひらほどの小さな車を買って乗っているが、その当時は自動車どころか自転車もなかった時だった。 お金もお金だけど、日本語で言葉が通じないから自転車がどこで売っているのか、また自転車をどうやって言いながら買えばいいのかも分からなかった。 1年後、私はドン·キホーテで売っている最も安い自転車を購入していた。)
- 日本語の勉強
日本語の勉強に戻って話しますと、私は日本語を勉強する時、日本語の教材にある文章をそのまま覚える方法で勉強をした。例えば、
- 「今日の昼食のメニューは何ですか?」という質問と
- 「今日の昼食はカレーです」という答えを一緒に覚えた。
もしくは、 - 「あなたが一番好きな日本の食べ物は何ですか?」という質問と
- 「私は寿司が一番好きです。」という答えなどを覚えた。
実は、私は寿司があまり好きではない。 私はKYKのとんかつが好きだ。でも、誰かが私に「あなたが一番好きな食べ物は何ですか?」と尋ねると、「私は寿司が一番好きです。」といつも答えた。
いつか「KYKとんかつが好きです」と答えていましたが、その後、突然予想できなかった質問が相手から出てきて当惑し、私はうまく答えられなかった。それでその後は「私は寿司が一番好きです」と答えた。それが最も平凡で特別ではない答えだ。 それでその質問で会話が終わる。その頃は、そのように会話が早く終わることを望んだ。日本語で一言、一言言うのがとても大変だった時期だった。
- 職場の日本語
ある日、私が勤めている職場に朝出勤したら、他の職員が料理を作っていた。私は介護施設で働いている。 そして、私が働く職場は料理を作る職員が別にいるのではなく、一般スタッフが毎日食事当番を決めて料理を作っている。
日本語の練習を兼ねて、他の日本人社員に勇気を出して話しかけた。
- 「今日の昼食のメニューは何ですか?」と私が言った。
- 「今日?サケ!」と職員が答えた。
私は心の中で、 - [ さけ?おさけ?今日はおじいさん、おばあさんたちが お酒を飲む日かな?]と思い、
- 「今日は、おじいさんやおばあさんたちがお酒を飲みますか?」と問い返した。
そしたら、その職員は、 - [ふぅ~~~] ため息をつきながら
- [サケ!サケ!!] 何度も叫んだ後、「もう、いい〜」と叫びながら別の所に行ってしまった。
私は自分が何を間違ったのか全く分からなかった。 私は理由を知らないまま「すみません」と言うしかなかった。
その日の昼食のメニューはピンク色の魚だった。その日、初めて私は、その魚の名前が「さけ」だということをわかるようになった。さけ(鮭)がランチメニューだったのだ。その職員は 「さけ(酒)」と言ったのではなく、「さけ(鮭)」と言ったのだ。
- 介護の職場での日本語の間違い
あの頃、私が一番多く使った言葉は「すみません」だったようだ。まず、相手が何を言っているのか理解できないので、私に言えることは「すみません」しかなかった。たまに悔しい状況に陥る時もあった。
介護施設では、おじいさんやおばあさんたちの洗濯を毎日行っている。もちろん職員たちがするが、直接手で洗濯をするのではなく、洗濯機に洗濯物を入れて洗濯をする。
ある日は、洗濯機に洗濯物を入れようとしたが、洗濯機の内側を見ると紙くずと他の異物がとても多く散らばっていることを確認し、静かに洗濯機内部を掃除していた。しばらくして、ある職員が来て、私に大声を上げた。
- [誰がこうしたんだ?お前か?] と急に大声を出して怒った。
私は相手の言うことは大体理解できる状態だった。 ただ私の考えを日本語で表現できなかっただけ。 - 「私がしたのではなく、ただ汚くて掃除中です」という言葉を私は、その日本語の文章を作れなかった。それで、
- 「すみません。」と言うしかなかった。
その職員は他の職員を連れて私の前に来て、私の前で二人の職員が私の悪口を言いながら怒ることもあった。
また別の日は、私が昼食を作らなければならない日の話だ。その前日、別の食事当番の職員が昼食に納豆をおかずとして提供していた。私は納豆が何かは知っていたが、それまで食べたことはなかった。その職員の食事の準備を参考にして、私も納豆をおかずに用意していた。熱心に食事の準備をしているのに、その介護施設から一番古い職員が来て、
- 「なぜ納豆をおかずに出すのか!」と私に怒った。最初はなぜ怒るのか分からなかった。
その職員は、しばらく怒った後に私に言いました。 - [あなたは日本語が分からないでしょう? 意味わかる? 意味わかる?」と叫んだ。施設を利用するおばあさんの中に納豆のアレルギーがあるおばあさんがいたのだった。私は[私は食事の準備をどうするのかわかりません。 他の職員が食事の準備をしているのを見てそのまま真似したものです」という文章を、日本語で私の頭の中から作り出すことができなかった。
その日もずっと頭を下げて - 「すみません〜!」と言うしかなかった。
その状況はあまりにもプライドに傷つき惨めだった。一番腹が立ったのは、以前納豆を準備していた職員がすぐそばにいたが、自分は関係ないことだというような表情で眺めてばかりいた。おそらく、その職員もアレルギーのあった祖母の状況を把握できていなかったようだ。
日本語を母国語として使う人も細部を把握するのが難しく、見逃しやすいのに、私がどうやってそこまで把握できるのだろうか? 事前にそのような注意事項も聞いていないのに。もちろん私が職員として正確に把握できなかった過ちが一番大きいですが、
だからといって、まず怒ることではなかっただろうと思う。
当時は職場の雰囲気がそうだった。なぜか日本語が下手だと、怒られるのが当たり前の雰囲気で、日本語が下手な職員に対しては気軽に怒っても大丈夫な雰囲気だった。いくら怒られても、私は何も言えないだろうという雰囲気があった。
今考えてみれば私に対してとても無礼な行動じゃないかな〜と思う。そしてその時、「知らん顔」をしながら眺めてばかりいたその職員に向かっても残戦な気持ちができてしまった。その時もし「たぶん、私が食事の準備をしているのを見て真似したようだ」と一言だけ手伝ってくれたら、私は一生感謝していたかもしれない。
- 職場に新し外国人が来た
最近、長い間働いていた日本人社員が定年退職で仕事を辞めた。 そして、別の日本人職員は給料のいい他の介護施設に転職した。
そして、新しい社員2人が入社した。二人とも外国人だ。中国人とベトナム人だ。中国人職員は日本語が流暢だった。 日本で留学をして20年以上日本に住んでいる人だ。また、別のベトナム人職員は日本で生活して30年が過ぎたという。 2人とも日本語に大きな問題はなさそうだ。日本人の立場からは、外国人が介護職に入って仕事をすることがそれほど嬉しくはないように見える。
もちろん私もある程度理解はする。 文化的障壁と言語的障壁があるから、いくら仕事が上手でも本国の職員よりは満足度が低いだろう。
しかし、外国人職員の立場を無理に弁護すると、私たちが日本人の足りない働き口を奪うわけでもなく、それによって不必要な社会的競争を誘発させるわけでもないようだ。むしろ、一般的な人があまりやりたくない分野の介護職だから、かえってよかったんじゃないかな? 誰かはこの仕事をしなければならず、またそうしてこそ社会が安定的に回ることができるから。
今からでも直ちにスマホで求職アプリのindeedに入って「介護職」と検索してみれば、少なくない時給を支給しているにもかかわらず職員を募集するところが多いことが分かる。私の働いている介護施設でもいつも人を探しているが、なかなか人を救えない。猫の手でも借りて仕事をしなければならない状況なのに、外国人の手ならどうだろうかな。
もちろん言語、ビザ、文化など様々な障壁があるが、皆が一緒に解決していかなければならない問題だと思う。日本語ができない外国人職員たちをあまり無視せず、同じ同僚として認めてほしいという小さな願いをここを借りて言ってみる。
日本で様々な困難にも耐えながら働く外国人介護職たち、頑張れ。